「遺言さえ書いておけば、相続で揉めることはない」。そう思われている方は少なくありません。しかし実際には、遺言があっても遺留分侵害額請求を受けることがあります。
前回はエンディングノートを使って「円満に備える」お話をしました。今回はその裏側です。
それでも揉めてしまったとき、相続税の申告はどう動くのか。不安を煽るためではなく、いざというときに慌てないための地図として読んでいただければと思います。
1|遺留分侵害額請求とは——2019年改正で「お金」の話になった
遺留分とは、配偶者や子など一定の相続人に法律で保障された最低限の取り分です。遺言をもってしても、これをゼロにすることはできません(なお、兄弟姉妹には遺留分がありません)。
2019年7月の民法改正で、この制度は大きく変わりました。かつての「遺留分減殺請求」は不動産などの現物を取り戻す仕組みでしたが、現在の「遺留分侵害額請求」は不足分を金銭で請求する制度です。
多く受け取った人が、足りない人にお金で払う。これが原則になりました。望まない共有状態が生まれにくくなった一方で、「支払う現金をどう用意するか」という新しい課題も生まれています。
2|前提として——交渉そのものは弁護士の仕事です
最初にお伝えしておきたいことがあります。遺留分をいくらにするか、どう支払うかという交渉は、弁護士の職域です。
税理士が当事者の間に入って条件を調整したり、代理人として交渉を行うことはできません。
私たち税理士がお手伝いできるのは、合意された内容をもとに税務がどう動くかを整理し、税負担まで踏まえた選択肢をお示しすることです。
揉めごとの気配があれば、早い段階で弁護士にご相談ください。弁護士と税理士が並走する形が、結果としていちばん安全で早く収まります。
3|金額の算定は「相続税評価額」とは限らない
実務でよく誤解されるのがここです。遺留分の金額を計算するとき、必ずしも相続税の評価額を使わなければならないわけではありません。
相続税評価額はあくまで税額を計算するためのものさしであって、当事者間の精算金額を決めるためのものではないからです。
特に不動産では、相続税評価額(路線価等)、固定資産税評価額、不動産鑑定評価額、実際の売却見込額のどれを採るかで、金額が大きく変わります。
どの価格を基準にするかは、当事者間の合意事項です。ここが曖昧なまま話が進むと、後から「前提が違った」と蒸し返される原因になります。まず「ものさしを何にするか」を決めることが先決です。
4|申告は待ってくれない——いったん遺言どおりに
一方で、相続税の申告期限(相続の開始があったことを知った日の翌日から10か月)は、揉めているかどうかに関係なくやってきます。話し合いがまとまるまで待ってくれる制度ではありません。
そこで実務では、いったん遺言の内容どおりに申告・納税を済ませ、遺留分侵害額が確定した後に調整する、という順序を取るのが基本形になります。
まず期限を守り、後から直す。この段取りを最初に共有しておくだけでも、ずいぶん気が楽になるはずです。
5|確定後の手続きは「払う側」と「受け取る側」で真逆
遺留分侵害額が確定すると、当初申告での取り分が動くため、双方で手続きが必要になります。
- 払う側(遺言で多く取得した人):取得財産が実質的に減るため、納めすぎた相続税を取り戻す「更正の請求」を行う
- 受け取る側(請求した人):取得財産が増えるため、「修正申告」(当初申告をしていなければ「期限後申告」)で不足分を納める
注意したいのは期限です。更正の請求は、遺留分侵害額が確定したことを知った日の翌日から4か月以内とされています。
この「確定した日」は、合意書の成立日や判決の確定日などを指しますが、どこを起点に置くかは実務上の判断ポイントになります。合意書に日付を明記しておくことが、後々の手続きを守ります。
なお、金銭ではなく不動産などの現物で支払う(代物弁済)と、払う側に譲渡所得税が生じることがあります。「物で払えば手元の現金は減らない」と考えがちですが、かえって税負担が増える場合があると知っておいてください。
6|実は「申告をやり直さない」という選択肢もある
あまり知られていませんが、遺留分侵害額請求で動くのは相続人どうしの取り分だけであって、遺産の総額そのものは変わりません。つまり、相続税の総額も変わらないのです。
そのため、更正の請求も修正申告も「しなければならない」ではなく「できる」規定とされています。
国から見れば誰がいくら納めるかが入れ替わるだけなので、あえて申告をやり直さず、当事者間で相続税相当額を上乗せ・控除する形で精算してしまうことも可能です。
手間や時間、その後の関係性を考えると、こちらのほうが現実的な場面もあります。どちらを選ぶかは、金額の大きさ、資金繰り、当事者の関係を見ながらの判断になります。
まとめ
- 遺言があっても遺留分侵害額請求は起こりうる。「備え」と「揉めた後の対応」は別物です
- 交渉は弁護士、税務は税理士。役割を分けて、早めに動く
- 遺留分の算定に使う価格は相続税評価額とは限らない。「ものさし」の合意が必要
- 申告期限は待ってくれない。いったん遺言どおりに申告し、確定後に更正の請求/修正申告(4か月の期限に注意)
- 総額が変わらないなら、申告をやり直さず当事者間で精算する道もある
そして最も効くのは、遺言をつくる段階で遺留分に配慮した内容にしておくことも選択肢です。
遺留分対策として死亡保険金など保険契約を活用する方法もあります。揉める芽を最初に減らしておくことが、結果としていちばんの節税になります。
