売上が伸び始めると、「そろそろ法人化した方がいいのかな」と考え始める漫画家・同人作家の方は多いです。税理士側から「法人化を検討してみませんか」と提案を受けることもあるでしょう。
実は当事務所では、漫画家・同人作家の方に対して、原則として法人化をおすすめしていません。売上が3,000万〜5,000万円あるお客様でも、個人事業主のまま続けていただいているケースが多くあります。
「え、そんなに稼いでいても法人化しなくていいの?」と驚かれる方もいるかもしれません。この記事では、その理由をできるだけわかりやすくお伝えします。
法人化を考えるとき、見落としやすい8つのデメリット
法人化の話になると、「税率が下がる」「役員報酬で節税できる」といったメリットばかりが強調されがちです。しかし実際には、漫画家・同人作家の方にとって無視できないデメリットがいくつもあります。
① 社会保険料が大幅に増える
個人事業主として文芸美術国保(文美国保)と国民年金に加入している場合、社会保険料の年間負担は40歳未満のかたでお一人だとおよそ50万円ほどです。
ところが法人化して役員報酬を受け取るようになると、健康保険料と厚生年金保険料が発生します。
しかも労使折半のルールにより、役員報酬から天引きされる分と同額を法人側でも負担しなければなりません。つまり実質的な社会保険料負担は倍になります。
仮に月100万円の役員報酬を設定した場合、個人負担分だけで年間約130万円、法人負担分を合わせると約260万円もの社会保険料がかかります。これは文美国保+国民年金の約50万円と比べると、5倍以上の差です。
② 文芸美術国保が使えなくなる
文美国保の最大のメリットは、所得がいくら増えても保険料が変わらない点です。40歳未満の方が単身で加入した場合、年間約30万円の保険料で済みます。
法人化するとこの文美国保には加入できなくなります。収入が増えるほど節税効果が見込まれる一方、この保険料のメリットを失うことになります。
シミュレーションをすると、かなり高い売上水準まで個人事業主のままの方が有利というケースも少なくありません。
③ 平均課税という強力な特例が使えなくなる
漫画家・同人作家の方の収入(印税・原稿料・著作権使用料など)は「変動所得」として、平均課税(5分5乗方式)という所得税の特例が使える場合があります。
例えば課税所得が1,000万円の場合、通常の計算では所得税が約176万円かかりますが、全額を平均課税を適用すると約51万円まで下がります。その差は実に125万円です。
法人化するとこの特例は使えなくなります。「法人税率の方が低いから法人化した方がトク」というシミュレーションは、この平均課税を考慮していないことが多く、実態とかけ離れた計算になっているケースを多く見かけます。
④ 役員報酬は年に1回しか変えられない
役員報酬は原則として事業年度開始から3ヶ月以内に決定し、その後は基本的に1年間変更できません。ところが漫画家・同人作家の方の収入は、作品のヒット次第で年間数百万円から数千万円まで大きく変動します。
「去年は5,000万の売上だったのに今年は500万になった」ということも珍しくない業界です。
役員報酬を高めに設定しておくと売上が落ちたときに法人の資金繰りが苦しくなり、低めに設定しておくと手取りが足りなくなる。このバランスを取るのは非常に難しいです。
⑤ 会社のお金を自由に使えなくなる
個人事業主のときは、事業口座から生活費を引き出したり、プライベート口座からの支払いを経費にするといった柔軟な資金管理ができます。法人化すると、法人のお金と個人のお金は別管理になります。
役員報酬の範囲で生活するという感覚は、会社員経験がない方にはなかなか馴染みにくいものです。「法人口座のお金は自分のものなのに自由に使えない」という不満を持つ方は少なくありません。
⑥ 事務作業・手続きが大幅に増える
法人化すると、法人税申告・社会保険手続き・役員報酬の管理・法人口座の管理など、こなすべき事務作業が一気に増えます。また、税理士報酬も個人事業主の場合と比べて増加します(申告の分量や複雑さが増すため)。
「書類の封を開けることすら億劫」という方が作家業界には実際に多くいます。そういった方にとって、法人化による事務負担の増大はかなりのストレスになります。
⑦ 著作権の扱いに注意が必要
意外と見落とされやすいのが著作権の問題です。著作権は創作者個人に帰属します。
法人化して法人名義で著作物から収益を受け取る場合、著作権を個人から法人へ適切に移転・処理していないと、税務調査での指摘対象になる可能性があります。
著作権の時価評価は複雑で、過去の収益をもとに計算するため、売上が大きい時期に法人化すると高額な譲渡対価が発生することもあります。
この部分を手当てしていないシミュレーションを持ち込んでくる方が多く、注意が必要です。
⑧ インボイス制度で法人化の消費税メリットが薄れた
以前は法人化した初年度と2年目を免税事業者として活用できるメリットがありました。
しかしインボイス制度の導入後、出版社との取引上すでに課税事業者(インボイス登録事業者)になっているケースが大半です。
法人化してもすぐにインボイス登録が必要になり、免税期間のメリットはほぼなくなっています。
では、どんな場合に法人化を検討するのがいいの?
上記のデメリットを踏まえた上で、それでも法人化を検討してよいケースはあります。
個人事業主として十分な収入があり、すでに資産もある程度積み上がっている状態で、かつメディアミックスや版権ビジネスの展開など今後も収入が継続的に増える・維持できる見込みがある場合は、法人化を検討する余地があります。
重要なのは、社会保険料も含めたシミュレーションをきちんと行うことです。税金だけを見て「法人化した方が節税になる」と判断するのは危険です。
社会保険料・専門家報酬・事務コストを含めたトータルで比較することが必要です。
個人事業主のまま、資産と時間を積み上げていく
当事務所がお客様によくお伝えしていることがあります。それは「目標とする資産額を決め、そこに向かって作品作りに集中できる環境を整えること」が、多くの作家業の方にとって最善ではないかということです。
例えば、1〜2年で数千万円の収入が入った場合、税金や生活費を差し引いても2,000万円前後の資産が手元に残ることもあります。
これをNISAやiDeCoなどで資産運用に回し、「お金に働いてもらう」仕組みを作っておけば、仮に売上が落ちた年でも安定した生活基盤が確保されます。
法人化して煩雑な管理に時間とエネルギーを使うよりも、個人事業主のシンプルな形のまま、作品作りと資産形成の両立を目指す。これが、私のお客様の多くが選んでいる道です。
まとめ
法人化は「売上が増えたら次のステップ」ではありません。漫画家・同人作家の方にとっては、デメリットの方が大きいケースがほとんどです。
- 社会保険料の大幅増(文美国保も使えなくなる)
- 平均課税という強力な特例が使えなくなる
- 役員報酬設定の難しさ
- 事務・管理コストの増大
- 著作権処理の複雑さ
「法人化した方がいいと言われたけど、本当にそうなの?」と感じたら、まずはご自身の状況を整理することが大切です。
