先週の記事では、遺留分侵害額請求を受けたときの相続税の手続きを整理しました。金額が確定したら、支払う側は更正の請求、受け取る側は修正申告――という流れです。
ただ実務でつまずくのは、その前の段階であることのほうがはるかに多いのです。金額が決まらない、話し合いが半年、一年と続く。その間にも、申告期限は容赦なく近づいてきます。
今回は「なぜ遺留分の話し合いは長引くのか」と「決まらないまま期限を迎えたときにどうするか」を整理します。いままさに揉めている最中の方が、今日から何をしておけばよいかが分かる内容にしました。
長引く最大の理由――同じ財産に「二つの値段」がある
遺留分の話し合いが長引くのは、感情のもつれだけが理由ではありません。もっと技術的な、構造的な理由があります。
遺留分の算定に使うのは時価です。一方、相続税の計算に使うのは相続税評価額。同じ一つの土地に、二つの値段が存在しているのです。
土地であれば、相続税は路線価をベースに計算します。路線価はおおむね公示価格の8割の水準です。ところが遺留分の交渉の場では、実際に売れる価格――実勢価格が持ち出されることがあります。この差が、そのまま金額をめぐる争いになります。
さらに難しいのが非上場株式です。相続税では財産評価基本通達に沿って評価しますが、遺留分の算定では会社の実態に即した企業価値が問題になります。ここは専門家の間でも意見が分かれやすく、いちばん長引くところです。
「相続税の申告書ではこの金額になっているのだから」という主張が、遺留分の交渉では通らないことがある。この構造を知らないまま話し合うと、お互いに納得できないまま、時間だけが過ぎていきます。
もう一つの争点が、生前贈与をどこまで持ち戻すかです。
相続人への贈与は原則として相続開始前10年以内、相続人以外への贈与は1年以内が対象になります。贈与がある場合にどれを持ち戻すのか、という部分も話し合いの場における交渉になります。
決まらないまま10か月が来たら――未分割申告という選択
申告期限は、揉めていても待ってはくれません。相続の開始を知った日の翌日から10か月。「話し合いが続いているので」という理由で延ばしてもらえる制度はないのです。
決まらないまま期限を迎える場合は、いったん法定相続分で取得したものとして申告・納税します。これを未分割申告といいます。
注意したいのは、この状態では配偶者の税額軽減も小規模宅地等の特例も使えないことです。つまり、本来より多い税額を、いったん納めることになります。
納税についても未分割の状態だと遺産からの払い出しは困難ですので相続人の財産から支払うことが多いです。
そして、絶対に忘れてはいけないのが「申告期限後3年以内の分割見込書」です。これを申告書に添付しておかないと、後から分割がまとまっても、特例を使えなくなってしまいます。
書類そのものは難しいものではありません。忘れることが、そのまま最大の損失につながる――そういう性質の一枚です。
その後、分割が確定したら、確定を知った日の翌日から4か月以内に更正の請求をして、納めすぎた分を取り戻します。
調停や訴訟が続くなどして3年で決まりそうにない場合は、「遺産が未分割であることについてやむを得ない事由がある旨の承認申請書」を、3年を経過する日の翌日から2か月以内に提出します。
見落とされがちなのが、納税資金です。特例が使えない状態での税額は、想定よりかなり大きくなります。「決まってから考える」では間に合いません。
税理士にできること、できないこと
ここははっきりお伝えしておきます。税理士は、相続人の間に入って仲介をしたり、代理人として交渉をしたりすることはできません。
私たちが担えるのは、財産の評価、税額の試算、期限の管理、そして申告書の作成です。
もし相手方との話し合いがどうしても難しい、あるいは顔を合わせること自体が精神的にしんどい――そうした状態であれば、弁護士に依頼することも選択肢になります。
交渉の窓口を代わってもらえるだけで、日々の負担が大きく変わることがあります。
実務では、税理士から弁護士をご紹介することもありますし、逆に弁護士の先生から相続税の部分をご依頼いただくこともあります。
交渉は弁護士、税額と期限は税理士と役割を分けて両輪で動かすのが現実的です。どちらか片方だけで進めると、期限の管理か交渉か、どちらかが必ず手薄になります。
揉めている最中に、やっておくとよいこと
- 二つの評価があることを、最初に分けて理解しておく。交渉のテーブルに乗る金額と、税務署に出す金額は別物です。相続税評価で合意できる場合はスムーズに進むこともあります。混同したまま話し合うと、合意できたと思った後で「話が違う」が起きます。
- 早めに納税額を試算しておく。未分割で申告した場合にいくら必要か。手元資金で足りるか、相続人の財産処分が必要か。それによって、分割の話し合いの進め方そのものが変わってきます。
- 弁護士と税理士の動線をつくっておく。誰がどこまでを担当するのかを最初に決めておけば、期限が近づいてから慌てずに済みます。
まとめ
- 遺留分の話し合いが長引くのは、感情だけが理由ではない。同じ財産に「時価」と「相続税評価額」という二つの値段があり、そこを詰める作業に時間がかかる。
- 決まらなくても申告期限は来る。未分割で申告し、分割見込書を必ず添付し、確定後に更正の請求――という道筋を、先に知っておく。
- 現実的な第一歩は、「決まらなかった場合にいくら納税が必要か」を先に計算しておくこと。
早く相続税額を確定させること自体が、税務上も有利に働く場面があります。長引くほど、特例の適用も納税の見通しも不安定になるからです。
話し合いを始める前に、期限と金額の地図を持っておく。それが、揉めている最中にできる、いちばん実際的な準備です。
